729荻野富士夫著『特高警察』

書誌情報:岩波新書(1368),iv+242頁,本体価格800円,2012年5月22日発行

特高警察 (岩波新書)

特高警察 (岩波新書)

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特高警察(特別高等警察)は1911(明治44)年――大逆事件の翌年――から1945(昭和20)年まで存続した。この間国内では拷問による虐殺80人,拷問による獄中死114人,病気による獄中死1503人にのぼる(3ページ)。各地の拷問の実態調査にもとづいて政府を追及した山本宣治にたいして,秋田清内務次官の答弁がふるっている(1929年2月8日)。「あのような事実が我が日本の警察行政の範囲内においてあるかどうかということについては,断じてこれ無しと申上げてよろしかろうと思っている。明治,大正,昭和を通じまして,この聖代において想像するだに戦慄を覚ゆるような事態が果たしてあるでございましょうか」(75ページから孫引き)。
著者の勤務大学の前身小樽高商出身の小林多喜二や評者の勤務大学の前身のひとつ旧制松山高校出身の岩田義道は虐殺されたが,特高警察の法的基盤=治安維持法司法警察上の「思想犯罪」と行政警察的な適用の「強制的道徳律」)による死刑は国内では適用例がなく,朝鮮における民族独立運動にたいしては死刑が適用された。
特高警察の創設から国家国体の護持を旗印に拷問の黙認などの組織と生態を時系列に辿り,植民地・「満州国」での過酷な思想・運動取締の実態を抉り,公安警察としての戦後における延命(「特高警察が「国体護持」を掲げたのに対して,「公安警察」は「民主化」達成のためを掲げるという融通無碍さ,そして占領軍行政の補完的役割を果たすことで延命を図るという従属性」(222ページ)をもって特高警察は復活した)までが追跡されている。思想検察の「転向」施策と特高警察との確執やゲシュタポとの比較による秘密警察・政治警察としての共通性の指摘は「特高警察とは何だったのか」(6ページ)を解明しようという著者の緻密さと視野の広さをものがたっていよう。
国体護持による人権蹂躙と抑圧が大日本帝国を自壊させたとすれば,「思想を取締り,人権を蹂躙することが誤りであり,否定されるべきこと」(232ページ)であり,「現代とつながる特高警察の実像」(「あとがき」242ページ)から目をそらしてはならないのだ。