985陳柔縉著(天野健太郎訳)『日本統治時代の台湾――写真とエピソードで綴る1895〜1945――』

書誌情報:PHP研究所,285頁,本体価格2,000円,2014年6月27日発行

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「昔,台湾には日本があった」(訳者あとがき)。1964年生まれの著者はちょうど50年のその時期を肯定も否定もせず,27の事実を当時の新聞記事から拾い上げた。日本統治時代の市井の人びとの息吹を感じ取ることができる好著である。日本化されつつあった台湾で,独立運動に生死をかけるものも媚び諂うものもいればこそ泥もいる。日本統治下の台湾は良かったでもなく暗かったでもなく,等身大の台湾を描こうとしていた。東京に残る台湾との繋がりも追っていた。「台湾の近代美術や音楽,さらに法学,医学,歯学などはいずれも東京をそのゆりかごとし,台湾の第一世代となる洋画家,音楽家,弁護士たちが東京で育まれたことは否定しようのない事実である」(235ページ)。
味の素,カゴメヤマハも台湾に大きな足跡を残している。
現在の台北駅裏手に新しい複合型ショッピングモール Q square があるあたりは,日本統治時代,総督府専売局台北煙草工場があった。1930年に女子工員331名へのアンケート結果について紹介していた(『専売通信』昭和6年3月号,4月号より)。それによると「嬉しいこと」に「ピンポンの試合」,「娯楽」に「卓球」と答えている例があった。
文部大臣官房体育課編『本邦ニ於ケル体育運動団体ニ関スル調査 昭和7年度』(1933年)によると,「台湾卓球協会」が大正13年に設立され,事務局が「専売局煙草工場内」に置かれていたことがわかる。また,昭和15年には「第15回全台湾学生卓球選手権」,昭和16年には「第14回台湾建功神社奉納競技会」の卓球競技があった(朝日新聞社体力部編『運動年鑑 昭和16年度』,同編『運動年鑑 昭和17年度』)。「ピンポンの試合」も「卓球」も台北煙草工場では娯楽としてもスポーツとしても身近であったことが推測される。
本書はもともと訳者の「もっと台湾」(→http://motto-taiwan.com)で知った。日本語読者のための訳注も丁寧に付されている。