書誌情報:東京書店,255頁,本体価格1,600円,2009年11月10日発行
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おそろしく商業化が進んできたとはいえ,人間は生き物を命を奪い利用することで種としての再生産ができている現実がある。「生物の命を奪い利用することは罪深いことである。人びとはこうした心意を克服しながらクジラを生活の糧として利用してきたはずである」(18ページ)。沿岸捕鯨に従事し,鯨を資源としてきた事実と人びとへ焦点をあて,食用から共存への可能性を探ってみようというのが本書のモチーフである。
捕鯨一般ではなく日本各地――北海道,東北,安房,伊豆,南紀,中国,四国,九州――の捕鯨地ごとに捕獲・利用・信仰に注目しながら文化として鯨をとらえ,その地域の偏在性,鯨との関わりの特性,さらには時代と社会に対応した多様性を指摘する。霧隠才蔵は突き取りの名手だったそうだがその時代と砲殺時代の対鯨観は違う。1930年漁期ではイギリス,アメリカ,南アフリカ,アルゼンチン,デンマークの41船団が創業し,3万7千頭の鯨が捕獲され,約60万トンの鯨油が生産されたという。日本もこの頃から南極海に進出している。欧米諸国が鯨の捕獲制限を言い出したのは,乱獲と鯨油採取の採算性の低下によるのであって,生物保護にめざめたからではない。
獲る(捕鯨)がむきだしの鯨への攻撃であるとすれば,見るも(ホエールウォッチング)鯨にとってはこのうえない迷惑行為かもしれない。鯨を捕ってきた人びとへの理解は日本人と鯨との関係を考える最初の一歩であるだろう。
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