452垂水雄二著『悩ましい翻訳語――科学用語の由来と語訳――』

書誌情報:八坂書房,207頁,本体価格1,900円,2009年11月25日発行

悩ましい翻訳語―科学用語の由来と誤訳

悩ましい翻訳語―科学用語の由来と誤訳

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マルクスの抜粋ノートに Henry Dunning Macleod (1821-1902) からのものがある。労働価値論を批判し,限界効用逓減を考案し,限界革命の先駆者とされる人物である。Macleod は「マクラウド」と表記することが慣例になっているが,Macleod の字面からは「マクラウド」は想像しにくい。人名表記は現地音主義を採っているので,「マクラウド」と読むのだと言われると,そうですかとしか言いようがない。かつて,最初にケインズ (J. M. Keynes) が紹介された時,「キーンズ」か「ケインズ」かで大論争があったことがある。結局,本人から「サトウキビ(複数) (sugar canes)」の canes と同じだとの返事を得て確定した経緯がある。
人名表記は翻訳一般にまつわるひとつの条件でしかない。日本においてはかつては漢語から,近代以降は西洋語から,普遍的に存在する事象や概念と学術用語などを「翻訳」・「義訳」(杉田玄白)し,ときには原語をそのままカタカナ表記(「直訳」(同上))してきた。著者は生物学を中心とする翻訳啓蒙書の出版にながらく携わってきた。その経験を生かした翻訳からみた科学エッセイが本書だ。
名詞に形容詞がついた動植物の英名,生物学に人間がかかわる分野,漢字制限や学会用語などによる不適切な訳語,進化論にまつわる訳語,心理学用語に多いジャーゴン,専門用語の翻訳,カタカナ語など多くの実例から翻訳の奥深さを語っている。
「社会」や「恋愛」も翻訳にさいしての造語だったことはよく知られている(柳父章翻訳語成立事情』岩波新書,1982年,[isbn:9784004201892]や同『「ゴッド」は神か上帝か』岩波現代文庫,2001年,[isbn:9784006000561]参照。両書とも評者の愛読書である)。本書でも紹介されている多くの解剖学用語「神経」「盲腸」「粘膜」「視覚」「血球」「動脈」「十二指腸」「横隔膜」や学術用語「酸素」「水素」「窒素」「炭素」「花粉」「属」もすべて翻訳語だ。
「個別の訳語をめぐるウンチク話が中心」(8ページ)であることによって,自然科学だけでなく人文・社会科学とも交錯する翻訳論になっている。取り上げた言葉(日本語と原語)の索引もきちんとしている。