541鈴木健一著『風流 江戸の蕎麦――食う,描く,詠む――』

書誌情報:中公新書(2074),iv+216頁,本体価格760円,2010年9月25日発行

  • -

「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心(しょしん)の者に限って,無暗(むやみ)にツユを着けて,そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも,こう,一(ひ)としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると,長い奴が勢揃(せいぞろ)いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると,まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂(すだ)れの上に纏綿(てんめん)している。「こいつは長いな,どうです奥さん,この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユを三分一(さんぶいち)つけて,一口に飲んでしまうんだね。噛(か)んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉(のど)を滑(すべ)り込むところがねうちだよ」と思い切って箸(はし)を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。
夏目漱石吾輩は猫である』の一節である(引用は筑摩全集類聚版夏目漱石全集を底本にした青空文庫版より→http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html)。迷亭君が苦沙弥先生の細君に向かって蕎麦講釈しているシーンである(本書の「はじめに」にも引用されている)。そう蕎麦は噛むのではなく飲むのだ。落語の「時そば」,「蕎麦の羽織」,禁演落語「疝気の虫」でも蕎麦が登場する。
蕎麦(正しくは蕎麦切り)は18世紀中頃の明和・安永以後に広く普及したそうだ。赤穂浪士蕎麦屋集合説(忠臣蔵伝説)から詩歌,小説,演劇,絵画にみられる蕎麦文化を繙いた書物が本書だ。浮世絵の蕎麦風景,芭蕉の蕎麦食再現,漢詩,草双紙などからいかに蕎麦が身近な食だったかを解き明かす。「伝統的な〈雅〉な文化」(101ページ)の対極にある〈俗〉として蕎麦を代表させる江戸文化の描写(「雅俗折衷」)が生きている。
もり・ざるが蒸籠(せいろ)に載っているのは蒸し蕎麦の名残りであるとか,殺生戒により肉類を摂らない寺院にとっては蕎麦がご馳走であったこと(「寺方蕎麦」「門前蕎麦」と呼ばれた),胡椒はかつてはうどんを食べる時の薬味だったことも知ることができる。
歌舞伎の「そばかす野郎」,「たれ味噌野郎」,「だしがら野郎」も蕎麦起源というわけだ。顔を殴られた某歌舞伎役者が相手をこう罵ったわけではなさそうだ。