1703橘玲著『バカと無知——人間,この不都合な生きもの——』

書誌情報:新潮新書(968),286頁,本体価格880円,2022年10月20日発行

現代社会はリベラル化している。著者の問題意識にある社会観は,自分らしく生きたい,この世に生を受けた以上自分の人生は自分で決めたいということである。他方で,人類進化の淘汰と人間の社会性とはこのリベラル化した社会といたるところで衝突する。社会心理学認知科学の知見にもとづいて,きれいごと社会の表舞台とその裏にある人間本性の裏舞台とを描く著者の筆致がさえている。
ひとが権力を示すには支配が必要であり,社会・経済的地位が成功をもたらすのにたいし,道徳規範による美徳は悪を叩けだけで自分を誇示できる。匿名のまま有名人だけでなく意に添わない他人を批判できるキャンセルカルチャーの指摘は合点がゆく。「バカの問題は自分がバカであることに気がつかない」というダニング=クルーガー効果,熟議が必ずしも正解を結果するとはかぎらないこと,日本人のおおよそ3分の1が日本語を読めないこと,教える・教えられる権力関係の有無こそ教育効果の核心であること,ボランティアは善意の名を借りて自分の自尊心を引き上げてくれることなど「言ってはいけない」寸止め論法はさえている。
血統の高貴さも数十世代の経れば,あの継ぎ足しタレのように,家系や血のつながりはなんの意味をもたないことや日本の宝くじは期待値50%以下で,「愚か者に課せられた税金」であることなど伏線の話題も豊富だ。共同体主義は排外主義の一形態であり,トラウマと虚偽記憶との関係の指摘は考えさせられた。「人間にとっての最大の脅威は,むかしもいまも,天変地異や捕食動物ではなく,自分と同じように高い知能をもつ生き物に囲まれていることなのだ」(278-9ページ)。陰謀論SNSの世界特有なのではなく,人間世界に普遍だとすれば,社会での対応が違ってくるはずだ。