書誌情報:岩波新書(1299)vii+244頁,本体価格800円,2011年318日発行
- 作者:藤井 省三
- 発売日: 2011/03/19
- メディア: 新書
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評者の最初の魯迅体験は『阿Q正伝・狂人日記』(岩波文庫,竹内好訳)だった。二回目は「希望とは本来あるとも言えないし,ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの,実は地上に本来道はないが,歩く人が多くなると,道ができるのだ」(「故郷」)の一節から「行人多くして道成る」を知ったこと。文学部出身のS先輩が命名した院生交流誌だった(手書きで青焼き)。三度目は魯迅の故郷・紹興にある魯迅紀念館での『魯迅と仙台』(魯迅・東北大学留学百周年史編集委員会編,東北大学出版会,2004年)贈呈式に立ち会うことができたことである。
魯迅が暮らした東アジアの都市――紹興,南京,東京,仙台,杭州,北京,厦門,広州,上海――を辿りながら魯迅の生涯と作品を読み解き,東アジア共有の「モダン・クラシック」として読み継がれている「東アジアの共通性と多様性」(21ページ)を確認している。魯迅文学が日本や東アジアで受容された理由を明らかにしようという問題意識が「モダン」といえるだろう。
「竹内魯迅」を「魯迅ないしは同時代中国を手がかりとして日本近代化,日本の現在を批判していこうという特異な外国文学兼日本文化批評」(170-171ページ)とする評や竹内訳を「伝統を否定しながら現代にも深い疑念を抱いて迷走するという魯迅文学の原点を見失っ」(183ページ)たとする批判からは魯迅像の再構築の意図を強く感じる。
「故郷」が中学校の国語教科書で1953年から採用されて以来魯迅は日本人にとって「外国の文学者でありながら,現在日本においては国民文学的扱い」(152ページ)・「ほとんど国民作家に近い存在」(184ページ)である。
魯迅の描く抵抗しつつ受容するという「阿Q」像が大江健三郎に「批判の規準としての魯迅」(184ページ)を,村上春樹に「内省的な市民像」(235ページ)を提供したのはなるほど頷ける。
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