785中島義道著『ヒトラーのウィーン』

書誌情報:新潮社,236頁,本体価格1,500円,2012年1月20日発行

ヒトラーのウィーン

ヒトラーのウィーン

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『わが闘争』,アウグスト・クビツェク著『アドルフ・ヒトラーの青春』,フランツ・イェツィンガー著『ヒトラーの青春』の叙述から取捨選択し,ヒトラーがウィーンで暮らした17歳から22歳までの5年3ヶ月を「覗き込」んだ。ヒトラーの人格形成やユダヤ人増悪の醸成などがこのウィーン時代と切り離せないことを見て取っている。
著者のヒトラー解剖から「半ば意図的な記憶の混乱,半ば意図的な矛盾の放置,半ば意図的な虚言」(62ページ)や「他人を理解する能力を絶望的に欠いている」(187ページ)性格を『わが闘争』から嗅ぎ取る。
ヒトラーにとってウィーンは画家になる夢を打ち砕かれた街であり,浮浪者収容所にまで転落した街である。ユダヤ人増悪は当時のウィーンの穴蔵のような自分の住居と富の象徴である壮麗な建築群とを対照させた住宅問題と深く結びついている。また大都市ウィーンの道徳的退廃ももとをただせばユダヤ人にあるというわけである。「普通の(「普通の」に傍点)反ユダヤ主義者」(140ページ)から「筋金入りの(「筋金入りの」に傍点)反ユダヤ主義者」(同上)への転換はウィーン時代の挫折と見聞が大きな意味をもっている。ウィーン時代のユダヤ人増悪はやがて政治の舞台で脚光を浴びることになったとき正当化されることになる。
「自分の過激な反ユダヤ主義プロパガンダが大衆から熱狂的な支持を得ることを体感的に知」り,「自分が過激になればなるほど,大衆が感動することを学」ぶ(148ページ)。ヒトラー反ユダヤ主義は「大衆との共謀構造の成果」であり,「大衆との共同作品」(同上)である。日本の一部の政治家とネトウヨの関係を連想してしまうのは評者だけではあるまい。