812今野浩著『工学部ヒラノ助教授の敗戦――日本のソフトウェアはなぜ敗れたのか――』

書誌情報:青土社,204頁,本体価格1,500円,2012年12月25日発行

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工学部ヒラノ教授は国・文部省(当時)の肝いりで構想された筑波大学情報学類に第1号助教授として赴任し,世界最大規模のソフトウェア中心の計算機科学科にする任を果たすはずだった。もし構想通りであったならば世界に伍するソフトウェア科学が筑波に根付き,日本にソフトウェア産業が花開くことになった。
ヒラノ助教授の奮闘むなしく,「ソフトウェア陣営の内部抗争と物理帝国の総攻撃」(9ページ)によってあえなく瓦解する。その顛末を綴った「痛恨の記録」(同上)が本書というわけである。
ソフトウェア構想が挫折したのは新構想大学内外の政治的駆け引きと学閥がらみの人脈による泥仕合による。研究と教育の分離,講座制の廃止,教授会自治の廃止を内容とする新構想大学は筑波移転に伴う「凄惨な粛清事件」(64ページ)や大量のダミー人事を必要としていたのだった。
「体制派のヒラノ」青年は,「”特殊任務”を帯びた教授」(140ページ)がうごめくなかで「三銃士」(または「三馬鹿」)のひとりとして筋を通そうとする。ときには恫喝,ときには「民青」のレッテルを貼られる――貼るほうも貼られるほうも30過ぎの助教授に「民青」はありえないが――。
「工学部の語り部」ヒラノ教授による筑波大学開学当初のドタバタは公式文書にはない事実を記録している。最後まで信念を貫いた「三銃士」のボルトスへの賛辞がいい。「約半世紀に及ぶ大学生活で,アトス(ヒラノ教授のこと:引用者注)は何十人もの”すごい”人と出会ったが,この人ほど強い信念と熱いハートを持った人を知らない。(改行)計算機教育に関するこの人の考え方が正しかったことは,その後の歴史が示す通りである」(193ページ)。