1167松尾匡著『自由のジレンマを解く――グローバル時代に守るべき価値とは何か――』

書誌情報:PHP新書(1033),286頁,本体価格820円,2016年2月29日発行

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経済政策を中心に論じリスク・決定・責任の一致による「基準政府」を展望した同じ新書『ケインズの逆襲,ハイエクの慧眼』(関連エントリー参照)をもとに人間関係の固定か(「固定的人間関係」)流動か(「流動的人間関係」)によって自由と責任をさらに深めた新書である。リベラルとコミュニタリアンリバタリアンハイエク,ミル,ナッシュ,バーリンマルクス,セン,大塚久雄など著者が論点提起の俎上に載せる「思想家」は数多い。自由と責任の先に協同組合やNPOの活動による「獲得による普遍化」に希望を託すのは理解できた。
過疎や高齢化で共同体の自立を志向する事例にこう言うのはどうだろう。「若者に職がなくなり,商店は続々潰れていき,高齢者は毎日の買い物も食事もままならなくなって,コミュニティどころではなくなります。人がいよいよ逃げつくし,少数者でも影響力が届く規模にまで人口が縮小したところに,たまたまヨソ者かUターン組の優秀で情熱ある人材を得る幸運にめぐまれた町だけが,コミュニティ経済を維持して,調査に来た都会の小金持ちコミュニタリアンに成功事例のネタを提供することができるのです。逃げ出した人々がみな戻ってきても,とてもやっていけるわけではないし,全国の田舎が同様に成功できるかわけでもありません」(121-2ページ)。恣意的な支配・拘束があった「固定的人間関係」のコミュニティだからといって切り捨てていいはずがない。「獲得による普遍化」の過程と位置づけることができない田舎論はどこか危うい。
マルクスの自由についての章で,唯物の物は本物の物,日々の暮らしの事情のことで,物象化の「モノ」は「物」のように見えて実は「物」ではなく,人間の「思い込み」「観念」だというのは評者には依然として咀嚼できていない。「はだかの王様」は著者の「思い込み」「観念」である疎外論・物象化論と読んだ記憶が強く,本書で再説しているような悪しきナッシュ均衡に結果する最適化行動論との絡みは評者の課題として残っている(関連エントリー参照)。