473大塚英志著『大学論――いかに教え,いかに学ぶか――』

書誌情報:講談社現代新書(2043),254頁,本体価格740円,2010年3月20日発行

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「まんがを教える大学」での体験的大学論は,「思いの外」まんがにとどまらない大学での教育論,学習論と共鳴している。
まず,まんがと映画(とアニメーション)の両領域の違いと関連を問い,方法論の越境の追体験という実践的講義に生かすやり方は,「神の宿る細部の見つけ方」(40ページ,原文には強調点あり)という学び方を学ぶという大学の学びに援用できる。あわせてこの点は著者の「おたく論」――「現代思想やアートやアカデミズムは「おたく」文化の伝達力に乗っかって――つまり海外まで出かけていって「オタク」「萌え」「クールジャパン」と口走ることで自分たちが世界とコミュニケーションしていると主張している」(72ページ)――に重なっている。
ふたつめは,大学教師論としても読むことができること。「大学生の質の低下を嘆く大学の教員の質をもっと問題にすべきだ」(105ページ)は「その人の「学問」や「教養」の幅が見通せてしまう大学の先生が,年齢が下がれば下がるほど増えていく印象」(104ページ)と表裏をなしているのだが,「バカ」「アホ」「下流」などをタイトルにした新書の内省なき現状を見るにつけ一考に値する。
みっつめが,学びとはなにかに触れる提起をしていることだ。まんがを書くことで「生きていく基本の技術」「普遍的なものの尻尾」(248ページ)を捕まえればなにかに役立つ必要はない。
「大学で教える,というのは,つまり,自前の体系をそのカリキュラムから作り上げること」(242ページ)。著者が恩師から学んだひとつという。そう,学生にとっても教師にとっても「大学というのは思いの外,可能性に満ちている場所」(8ページ)なのだ。