036松尾匡著『左翼の逆襲——社会破壊に屈しないための経済学——』

書誌情報:講談社現代新書(2597),281頁,本体価格1,000円,2020年11月20日発行

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[本書の背景]
著者は本書に先だって多くの類書を公刊している。単著にかぎれば,①『近代の復権————マルクスの近代観から見た現代資本主義とアソシエーション————』(晃洋書房,2001年)ではマルクス疎外論から資本主義の転倒した性格を摘出し,資本主義による個々人の合意形成の可能性から「獲得による普遍化」を,②『「はだかの王様」の経済学――現代人のためのマルクス再入門――』(東洋経済新報社,2008年→[1]:https://akamac.hatenablog.com/entry/20080803/1217769650,[2]:https://akamac.hatenablog.com/entry/20080805/1217951341)ではマルクス疎外論と制度分析の経済学を基礎にしたマルクス再入門を,③『商人道ノスヽメ』(藤原書店,2009年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20090929/1254232506)では商人道を開放個人主義原理による市場の倫理を体現したとしてその現代での復権を,④『対話でわかる痛快明解経済学史』(筑摩書房,2009年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20100718/1279461324)では市場メカニズム,経済学と反経済学,創始者と総合者の視点で経済学の歴史の再構成を,はたそうとした。
また,ここ10年の単著をみると,⑤『不況は人災です!――みんなで元気になる経済学・入門――』(筑摩書房,2010年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20100718/1279461324)では歴代政権による金融政策の検証とその批判を,⑥『図解雑学 マルクス経済学』(ナツメ社,2010年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20110110/1294671690)では主流派経済学の手法を取り入れた数理マルクス経済学によるマルクス経済学の再生を,⑦『新しい左翼入門――相克の運動史は超えられるか――』(講談社現代新書,2012年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20121112/1352723673)では社会変革の上からと下からの道論の相克を超えた市民の日常活動に将来社会の展望を,⑧『ケインズの逆襲,ハイエクの慧眼――巨人たちは経済政策の混迷を解く鍵をすでに知っていた――』(PHP新書,2014年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20150208/1423405450)では小さな政府でも民活民営でもない大きな政府による経済政策の実現を,⑨『この経済政策が民主主義を救う――安倍政権に勝てる対策――』(大月書店,2016年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20160219/1455887621)では中央銀行による財政ファイナンスによって格差縮小や教育に振り向ける経済政策を,⑩『自由のジレンマを解く――グローバル時代に守るべき価値とは何か――』(PHP新書,2016年→https://akamac.hatenablog.com/entry/20160601/1464792890)では協同組合やNPOの活動による「獲得による普遍化」を,それぞれ展開していた。
これらの著書群をおおまかに整理すると,1)方法論としてのマルクス疎外論と基礎理論としての主流派経済学を取り入れて数理マルクス経済学を提示すると同時に市場メカニズムと民主主義に期待してきた部分(①〜④および⑥)と,2)財政・金融政策を中心としたこれまでの経済政策の検証と批判(運動論・担い手論や広く左翼論)にとどまらずそれへの代案の提示と実現にいたる道筋を明らかにしようとしてきた部分(⑤および⑦〜⑩)になろう。
著者の主張は,ケインズ主義の破綻と財政危機の進行を契機とした1970年代後半以降・80年代の新自由主義の台頭を遠景に,ソ連・東欧体制の崩壊以降に進行したグローバリゼーションの名の多国籍企業による大競争時代の規制緩和論を中心とした90年代以降の新自由主義を近景にしている。「平等主義」を大義名分とした社会主義の崩壊は,「クレムリンの脅威」(フリードマン)から資本主義を解放することからはじまり,戦後福祉国家の解体と再編を促進し,改革の主対象を財政再建から高コスト構造の是正へと変化させてきた。新自由主義が市場原理対民主主義,規制対規制緩和,低コスト対高コストの構図からそれぞれ前者の優位を説くとき,経済思想史と経済理論にもとづく見通しをもった新自由主義および政策批判・イデオロギー批判を必要としよう。著者による経済政策・政権批判と著作群による代案提示はこうした現実への強い危機意識のあらわれであり,評者もそれを共有している。

[本書の特徴]
本書の内容はこれまでの著作群との重複を含んでいるが,新しい論点のひとつが左翼の運動と思想を「レフト1.0」「レフト2.0」「レフト3.0」に整理し,「レフト3.0」に将来を託していることである。
1970年代の「レフト1.0」(穏健派:旧社会民主主義や急進派:マルクスレーニン主義)および1990年代の「レフト2.0」(穏健派:ブレア=クリントン路線,日本の旧民主党政権や急進派:エコロジー共同体主義あるいはディープ・エコロジー)に代わる「レフト3.0」(現代欧米にみられる左派ポピュリズム)を提唱し,「人は生きているだけで価値がある」を旨とする社会を構想している。
「レフト1.0」は,①国家主導型で大きな政府の志向,②生産力主義,③労働者階級主義,④社会主義を標榜する大国に寛容,を特徴とする「戦前から続いている由緒正しい左派」(129ページ)である。「レフト2.0」は,①市場原理やNPO・コミュニティを利用した小さな政府,②反生産力主義・エコロジー,③脱労働組合依存・多様性の強制,④発展途上国の自立性尊重,を特徴とした。しかし,新自由主義の猛威が吹き荒れるなか,「レフト2.0に特徴的な路線の一つひとつが裏目」(149ページ)に出て,先進国での極右の台頭を許すことになる。
この把握に立って,著者は,「2.0の積極面を総合した1.0の復活」(149ページ)・「1.0と2.0の論点の総合」(157ページ)・「レフト1.0とレフト2.0の総合によってもたらされる高次元でのレフト1.0の復活」(159ページ)を主張する。いずれも現在進行中だったアメリカ,イギリス,ドイツ,ギリシャ,スペイン,ベルギー,オランダなど「レフト3.0」運動は「レフト1.0と2.0の総合に失敗」(171ページ)する。「レフト1.0」を継承すべき階級闘争史観を体現する「レフト1.0」型のリーダーの登場に快哉を叫びつつ,多数派をめざす段階でプラットフォーム型から集権的なピラミッド型へと組織が転換してしまったことや反緊縮運動がEUの存在を前にして現実性と結びついていないことがその理由となる。
反緊縮政策論は,左翼こそ経済成長論を政策に取り入れるべきであると主張に関係している。「レフト1.0」を,かつて一世を風靡した情勢認識である全般的危機論による危機待望論,「レフト2.0」を,財政危機論によるアベノミクス破綻論とし,野党が自民党を上回る景気拡大策を主張できなかったとの思いがあるからである。反緊縮政策論が生産手段の蓄積に依存しない再生産システムを志向し,私的信用ではなくインフレ率や失業率を考慮した財政支出や減税額の決定を意味する。また,設備投資財部門を抑制するための増税や物品税,累進性強化による労働配分の適正化に繋がっていく。さらに,インフレ目標(著者は物価安定目標を使う)による私的信用構造の抑制と設備投資補助金や一律給付金による景気調整と生産の再編成は「民意に基づく公共的目的のために,民主的に選ばれた政府機関がおカネを作るシステムへの転換」(234ページ)を目指す。資本主義的経済システムの社会主義的社会システムへの変革である。
変革論の展望を根拠づけているのが疎外論である。「「生きているだけで価値がある」生身の具体的個人」(238ページ,「生きているだけで価値がある」は山本太郎・「れいわ新選組」から)の立場に立ち,社会的総労働の配分とコントロールの権利の奪還を正当化する。「レフト1.0」の契約による累進課税法人税の強化,「レフト2.0」の共同体主義コミュニタリアニズムによる幸福分配政策を経て,「レフト3.0」の「レフト1.0」への回帰による課税・再分配正当化論の提案である。
生きづらい毎日を送っている人たちの立場に立ち,地域におけるプラットフォームの構築に「レフト3.0」の未来があり,反緊縮の経済政策こそが「資本主義的経済システムを乗り越えて,社会主義的な社会システムに変革していく道」(235ページ)となる。財政均衡主義に与しないだけでなく,反緊縮の経済政策のその先を見通していた。本書は「レフト3.0」(現代欧米にみられる左派ポピュリズム)に将来構想の芽を発見し,反緊縮の経済学に資本主義の社会主義への道を重ねている。

[本書の意義と課題]
本書はもともと労働運動や協同組合運動を担う活動家のための大阪労働学校・アソシエでの講義をもとにしている。そのため反緊縮経済政策論にとどまらず,「包括的な経済認識や世界観を提案」(272ページ)している。この点で,疎外論や反緊縮経済政策理論を政権交代やその先の将来社会の構想にいかに結びつけるかという問題意識を前面に押し出しており,あまたの経済学入門書とは一線を画する。
「レフト3.0」論の主張はすでにみてきたように,疎外論と所有論の再解釈による。疎外論にあっては,「生きているだけで価値がある」生身の具体的個人が主人公であるはずなのに,制度や決まり事などの社会的なことが自己目的化し,生身の個人を手段化している,という著者の理解を強調する。所有論にあっては,所有をコントロールの権利とし,生身の個々人のもとに経済のコントロールを取り戻す民主的コントロールの主張となる。ミクロな各企業運営とマクロな経済全体での生産配分がその中味である。眼前に存在するのは国家共同体ではなく階級社会だから「収奪者を収奪せよ」へと回帰せよ,はまさしく「左翼の逆襲」の宣言である。
民族意識に「われら人民」「おまんま」(180ページ)の,組織に「相互の経験や情報を交流しあい,共通の政治課題に取り組むためのプラットフォーム」(182ページ)の,それぞれ代替案は間違っていない。著者が少子高齢化の条件を受けたトータルな対抗路線と反緊縮経済政策論を一環として含むトータルな体制変革思想の体系を提示したことは大いに評価しつつも,地域のプラットフォームや労働者・利用者が運営する事業のネットワーク経済に期待するだけでは十分ではない。
また,日本における新自由主義は,日米防衛新ガイドライン関連法からイラク参戦,集団的自衛権容認,日米新ガイドラインアメリカに追随・補完する軍事大国化と軌を一にして進行してきた。自由な経済とともに強い国家への志向が新自由主義の名のもとで進んだ日本資本主義であり,日本的新自由主義はひとり市場万能論だけでなく,社会全体をきな臭い方向へと導いている。著者の「左翼の逆襲」はこの点で空振っていないだろうか。