995三浦豊彦著『暉峻義等――労働科学を創った男――』

書誌情報:リブロポート,299+iv頁,本体価格1,500円,1991年3月5日発行

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『学術の動向』(日本学術協力財団,2010年10月号)の表紙を飾っていたのが暉峻義等(てるおか・ぎとう,1889.9.3-1966.12.7)である。「雇用労働環境と働く人の健康・生活・安全」の特集号で,岸玲子の「労働科学の創始者」とした暉峻の解説がある。
本書は暉峻評伝であり,暉峻を論ずることで日本における労働行政成立事情をも語っている。暉峻は東京の貧民窟調査を経て大原孫三郎に誘われて大原社会問題研究所・倉敷労働科学研究所の設立に関わる。温湿度の心身影響,乳児死亡調査,労働衛生,郵便事務能率,海女の潜水生理学,社会衛生学,人絹・スフ工業の職業病,化学繊維工業保健衛生など多様な研究活動は戦時下で大日本産業報国会に吸収されていく。健康社会建設協会,漁業労働・漁村の生活調査,アジア産業保健会議は暉峻の公職追放・免除後のことである。
実験生理学,労働生理学,社会衛生学やハーヴェイ『血液循環の原理』翻訳といった暉峻個人の研究関連から『労働科学研究』,『農業労働調査報告』,『日本社会衛生年鑑』,『日本労働年鑑』などの倉敷労研の調査研究にいたるまで,暉峻の生涯は日本の労働科学の誕生と発展とほぼ同じ軌跡を描いている。
経営者・大原孫三郎と医学者・暉峻義等倉敷紡績株式会社と倉敷労働科学研究所。暉峻の労働科学は労研なくしてありえなかった。
労研饅頭については「労研饅頭の社会史」として7ページほどを割いていた。
本書は古書店から入手した。著者のサインが入っていたから,誰かに献本した一冊だったようだ。