686久保亨著『社会主義への挑戦 1945-1971――シリーズ中国近現代史④――』

書誌情報:岩波新書(1252),xi+209+10頁,本体価格800円,2011年1月20日発行

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国民党政権から共産党政権,さらには大躍進から文革までの時期という「混乱」・「苛烈な日々」を扱っている。米ソを中心とした戦後世界の展開と日本を含むアジアの歴史と交差させた叙述が特徴となっており,中国国内の政争や中国共産党毛沢東中心の歴史叙述を意識して排している。シリーズ②③の事細かな事実描写とは異なった印象を持った。
国共両党間の軋轢のもとで国民党政権によって強行・採択された中華民国憲法(1947年1月1日公布)は大陸で施行された期間は短いものの,ともあれ「選挙民の意向を踏まえた政治が志向されるようになっていた」(25ページ)ことを確認し,1987年以降進んだ台湾の民社化の源泉として,「今後,大陸において民主政治が求められるようになった時,(中略)改めて振り返られる日が来ることであろう」(同)としてその意義を論じていた。国民党の「敗北」を共産党との軍事的「敗北」としてだけでなく,経済政策の失敗と国際環境の激変,外交面での難題への直面などにもとめ,大陸における「連続と非連続の複雑な交錯」(40ページ)に注意を喚起している。
中華人民共和国成立(1949年10月1日)後の冷戦下での新しい国づくりは,「きわめて特徴ある試行錯誤を繰り返す中国社会主義の姿」(64-5ページ)をとる。「試行錯誤」とは共産党内部の権力闘争を反映した左右のぶれをもったその都度の方針転換である。当初は新民主主義を掲げたものの「三反運動」「五反運動」と民衆運動の装いをまといながら「実質的には政権が上から組織した民衆動員」(64ページ)を経て,中国は社会主義を選択する(指標:1954年憲法)。その後の大きな転機をなしたのが,急進的社会主義路線の「大躍進」であり,文化大革命である。「大躍進」はソ連モデルとは異なる社会主義建設を標榜し,土法高炉,深耕密植,人民公社などによる高度成長計画だった。これらは飢餓と栄養失調による2000万人以上の死をもたらす「惨状」(116ページ)となる。
その後市場経済の部分的復活を明文化した「経済調整政策」によって農業・軽工業の振興策が実施される。著者によればそれも内陸地域に軍需工業基地を建設する「三線建設」に代表される重化学工業化の推進によって後景に退いていったという。
文化大革命は中ソ対立やベトナム戦争という背景のもとでの文化の革命といいながら,「中国共産党の指導部内部の抗争に一般の民衆や党組織が巻き込まれ,人民共和国が築いてきた社会秩序が崩壊し,さまざまな社会層の中にあった不満や要求が顕在化するとともに,中国の内政,外交,社会,経済に大混乱が生じた事態」(152-3ページ)となった。著者は文革を担った紅衛兵文革派労働者たちの供給源を「激増しつつあった戦後生まれの若年の失業者ないしは半失業者」(159ページ)に見ている。一度は紅衛兵を鼓舞した毛沢東も軍隊による秩序回復を命令せざるをえなくなる。伸び悩む農業,立ち遅れる工業,向上しない民衆生活と文革の混乱を残しながら,日米との関係改善,国連への復帰と文革路線の転換が続く。
文革期に毛沢東に手紙を出した北京外国語学院の女子学生のような「確固とした個性」(185ページ)に代表される「70年代の思想的営為を支える水脈」(同)や「文革以降の時代の扉を押し広げていく新しい力」(206ページ)を確認するのは著者の力である。