1058大出尚子著『「満州国」博物館事業の研究』

書誌情報:汲古書院(汲古叢書112),viii+276頁,本体価格8,000円,2014年1月17日発行

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博物館は植民地統治と深く関係していた。19世紀の西欧植民地主義は植民地支配の正当化のため,国民統合の一装置として位置づけられた。日本においても明治初期の殖産興業の一環として開催した博覧会をもとに常設の博物館を建設した。19世紀末以降の植民地拡大によって台湾,朝鮮,樺太,関東州,「満州国」に多くの博物館が誕生した。
本書の対象は「満州国国立博物館である。国立博物館期(奉天,歴史・考古学博物館,1935-39年),国立中央博物館期(新京本館・奉天分館,1939-45年),「満州国」崩壊後(瀋陽,歴史・考古学博物館=現遼寧省博物館)の時期区分によって,「満州国」政府機関と博物館運営者・展示企画者との構想・意図に踏み込んで分析している。「満州国」の傀儡性に落とし込むことなく,「いまなお先行研究の蓄積が希薄な分野」(5ページ)であるその教育・文化活動の実相に迫ろうとしていた。
当時労働科学研究所所長だった暉峻義等が兼務した満鉄開拓科学研究所における研究成果が藤山一雄による民族展示場構想に大きな影響を与えたかを分析した第5章は暉峻再評価につながる論点を摘出していた。暉峻は「漢人白系ロシア人を生活者の手本」することを提唱していたにもかかわらず,関東軍・「満州国」政府は中国東北地方の地域性や多民族性を度外視した満州移民政策を推進したという。暉峻の調査研究を生かした民族展示場は藤山によって実現された。
労研饅頭から暉峻を調べ始めた評者が,博物館事業のタイトルで手に取った書物でふたたび暉峻に出会った。