511宮沢章夫著『『資本論』も読む』

書誌情報:幻冬舎文庫(み-15-1),317頁,本体価格571円,2009年8月10日発行

『資本論』も読む (幻冬舎文庫)

『資本論』も読む (幻冬舎文庫)

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つい最近単行本(WAVE出版,2005年12月,[isbn:9784872902402])の出版を知り,文庫本もあることを知ったばかりだ(カバーイラストの微笑むマルクスしりあがり寿の作品)。劇作家・演出家の著者による,「わからないわからないと口にしつつ闇雲に読み,いよいよわからないと苦しんでいる様をありのまま書こうという,これは,読むことの格闘の記録」(119ページ)である。解説本ではない。『資本論』を読んで「面白い」あるいは「なまめかしい」と感じたことを,そのまま表現している。
資本論』第1巻のうち,大月書店国民文庫版の最初の1巻までを読み終え,『資本論』を読むことを通じて得た快感を37回のエッセーで綴っている。『資本論』中の章句と概念を著者の演劇論や読書知を駆使して理解しようという過程の再現がおもしろい。「テクストの表面を覆うざらつき,その手触りともいうべき感覚を経験することこそ批評する視線を育てる」(274ページ)とはなみの『資本論』読み手ではない。
資本論』を読めなかったことを書いた第25回目はご愛敬だ。ロッシャー『国民経済学原理』批判の『資本論』での批判の個所――「リカード学派は資本をも、『貯蓄された労働』として,労働の概念のもとに包摂するのが常である。これは無器用である(!),というのは(!),じつに(!)資本所有者は(!),たしかに(!),それの(なにの?)たんなる(?!)産出(?)および(??)保存よりも多くのこと(!)をしたのだからである。まさに(?!?)自分の抑制こそがそれであって,その代わりに彼はたとえば(!!!)利子を要求するのである」(287-8ページ)――を「絶妙な注釈」として生きたマルクスの発見をしているのは著者の確かな読みを感じさせる(括弧を取っての再引用は字数稼ぎといえなくもない)。
『『資本論』を読む』であればすでにアルチュセール伊藤誠も解説本を書いている。「も」がいかに「も」大事なのだ。